被災地での「今年の漢字」は

東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故の影響が続く福島県で、「今年の漢字」に何を挙げるか、聞きました。福島市内の街頭で、困るの「困」という字をあげた母親は、「放射線の影響で、食事の準備や子どもの学校への送り迎えが大変で、困りました」と話しました。苦しいの「苦」をあげたサラリーマンの男性は、「震災で自宅がボロボロになってしまい、苦しい一年でした」と話していました。 
 
避難している人が暮らす仮設住宅でも聞きました。原発事故の影響で浪江町から避難している夫婦に聞いたところ、夫は「家」をあげて、「震災と原発事故ですべてが無くなりました。家も人生も奪われました」と話しました。妻は「友」をあげて、「自分のことをよく分かってくれる友人と離ればなれになってしまい、悲しいです」と話していました。また、「今年の漢字」に選ばれた「絆」をあげる人もいて、「あちこちを転々とした避難生活の中で、多くの人に温かい声をかけてもらえた。いろいろな人に優しくしてもらい、感謝しています」と話していました。

また、日本漢字能力検定協会が選ぶ「今年の漢字」に「絆」が選ばれたことについて、仙台市中心部の商店街で話を聞きました。震災で自宅が半壊する被害に遭った、仙台市青葉区の76歳の主婦は、「震災直後の、店がどこも閉まって大変だったときに、横浜に住む古い友人が食料品を送ってくれて、とても助かったのを思い出します。来年は、ことしお世話になった人たちに感謝の気持ちを示す年にしたいです」と話していました。青葉区の高校3年生の女子生徒は、「震災の直後に、近所の人たちと協力して水などの生活必需品を分け合ったときに、人と人とのつながりの大切さを実感しました。来年は、助け合いの精神を大切にして、バスに乗ったときにお年寄りに席を譲るなど、自分が身近にできることを積極的にしていきたいと思います」と話していました。また、泉区の女性は、「震災で宮城県が全国から支援を受けていることを考えると、絆ということばはぴったりだと思います。3人の子どもを持つ主婦として、家族の絆を大切にして過ごしていきたいです」と話していました。 
 
さらに、宮城県石巻市の仮設住宅でも「絆」について聞きました。高校3年生の男子生徒は、「野球部に所属していますが、震災後、2~3か月は練習ができませんでした。それでも試合で1勝できて、部員のみんなで喜び合えたことで、『絆』を強く感じました。4月には岩手の大学に進学しますが、来年、里帰りしたときには、少しでも復興しているといいなと思います」と話していました。また、60歳の男性は、「地震直後の避難生活では、物資が届かないこともあり、ポテトチップス1枚を家族で分け合ったりして、『絆』を感じる1年でした。来年は、地震も津波もない、よい年になることを祈っています」と話していました。10月に仮設住宅へ引っ越してきたという58歳の女性は、「震災から9か月たっても、一日一日をどう生きていくのかが精いっぱいで、まだ何も考えられません」と話していました。 
 
宮城県気仙沼市の魚市場で魚の出荷作業をしていた40歳の男性は、「こうやって仕事ができるのも、取引先やお客様の力があってこそでした。来年はもっと絆を深めて、気仙沼の復旧を進めていきたい」と話していました。魚の販売店に務める28歳の男性は、「震災直後は、近所の人に食べ物を提供してもらうなど、いろいろな人に助けてもらい、絆を感じました。一人一人でできることは限られているので、みんなで力を合わせて復興に進んでいきたい」と話していました。 
 
福島市内で、男性は「絆は、糸に半分と書くが、福島の復興は半分も進んでいない。来年は少しでも復興が進み、明るい年になればと思います」と話していました。原発事故の影響で飯舘村から避難している人が住む、福島市内の仮設住宅で、女性は「仮設住宅に棚がなくて困っているときに、近所の人が進んで取り付けてくれた。周りの人との絆で生きていけると感じます」と話していました。また、別の女性は「周りの人と助け合い、みんなで一丸となって暮らしていくことが大切です。それが絆なのではないでしょうか」と話していました。

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111212/t10014579911000.html

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