星の王子さま~LE PETIT PRINCE~
by Antoine de Saint-Exupery
XXVI
井戸のそばには、古いこわれた石垣がありました。あくる日の夕方、ぼくが仕事からもどってくると、ぼくの王子さまが、こわれた石垣の上に、両足をぶらりとたれて、腰をおろしているのが、遠くから見えました。すると、こういっている王子さまの声がきこえました。
- じゃあ、おぼえていないのかい?どうもここじゃなさそうだよ
ほかの声が、きっとどこかで、答えたのでしょう。王子さまが、すぐこういったのですから。
- そうだよ、そうだよ!きょうだったんだよ。だけど、場所はここじゃないんだ・・・・・・
ぼくは、ずっと石垣のほうに歩いてゆきました。いくら歩いていっても、だれのすがたも見えませんし、だれの声もきこえません。が、王子さまは、またいいました。
- ・・・・・・そのとおりだよ。砂の中の、ぼくの足あとが、どこではじまってるか、見ておくれ。ぼくを、そこで待っていさえすればいいんだ。今夜、そこへいくんだから
ぼくは、石垣から二十メートルのところにいましたが、やっぱりなんにも見えません。王子さまは、しばらくだまっていたあとで、またいいました。
- きみ、いい毒、持ってるね。きっと、ぼく、長いこと苦しまなくていいんだね?
ぼくは、胸がつぶれるような気がして立ちどまりました。しかし、やっぱりなんのことかわかりません。
- さあ、もう、向こうへいって・・・・・・ぼく、下へおりたいんだ!
そのとき、ぼくはぼくで、石垣のねもとのほうを見おろして、ハッと飛びあがりました。そこには、三十秒の間に、ひとの命を断ちきる、黄いろいヘビが一ぴき、王子さまのほうへ、かまくびをつきたてていました。ピストルをとりだそうと、ぼくはポケットのうちをさぐりながら、かけ出しました。しかし、ヘビは、ぼくの足音をきくと、ふんすいの水がだんだん上がらなくなるように、すうーっと、砂の中へすべりこみました。そして、こんどは、そんなにいそいでいるようすもなく、金物をひきずるような軽い音をたてて、石と石の間にもぐりこみました。
石垣のところへいきついたとき、ちょうどうまくおりてくる王子さまを、ぼくは、両腕でうけとめました。その顔は、雪のように白くなっていました。
- いったい、どうしたっていうのかい?こんどはヘビと話するなんて!
ぼくは、王子さまが、いつも首にまいている金色のえりまきをほどきました。こめかみをしめして、水をのませました。ことがこうなっては、ぼくは、もう、王子さまに、なんにもきく勇気がありません。まじめな顔で、ぼくを見つめていた王子さまは、両腕を、ぼくの首にからませました。王子さまの心臓は、鉄砲でうたれて、息も絶えそうになっている鳥の心臓のように、鼓動していました。
王子さまは、ぼくに、こういいました。
- 機械のいけないとこが見つかってよかったね。これで、きみは、うちへ帰っていけるんだ・・・・・・
- どうして知ってるの、そんなこと?
ぼくは、とてもだめだろうと思っていた仕事が、うまくいったことを、ちょうど知らせようと思って、きたところでした。王子さまは、ぼくのきいたことには、なんにも答えません。が、つづけて、こういいました。
- ぼくも、きょう、うちに帰るよ・・・・・・
それから、かなしそうに―
- でも、きみんとこより、もっともっと遠いところなんだ・・・・・・もっともっとほねがおれるんだ・・・・・・
王子さまがこういうのでは、その身の上に、なにか、なみたいていでないことが、もちあがっているにちがいありません。でぼくは、赤んぼうでもだくように、しっかとだきしめましたが、王子さまのからだは、どこかの深い淵にまっさかさまにおちていって、ひきとめるにもひきとめられないような気がしました・・・・・・王子さまは、遠いところで迷子にでもなったように、きっとした目をしていました。
- ぼく、きみがかいてくれたヒツジも持ってる。ヒツジをいれる箱も持ってる。それから口輪も・・・・・・
そして、王子さまは、さびしそうに、にっこりしました。
ぼくは、長いこと、ようすを見ていました。王子さまは、すこしずつ、元気づいてゆくようです。
- ぼっちゃん、きみ、こわかったんだね・・・・・・
王子さまは、こわかったのです。それにまちがいはありません。けれど、王子さまは、しずかに笑っています。
- ぼく、今夜は、もっともっと、こわい思いをするんだ・・・・・・
ぼくは、もうどうにもとりかえしがつかないことがおこりそうな気がして、また、胸のうちがつめたくなりました。王子さまのあの笑い声が、もう、二度とはきかれなくなるのだ、と思うことさえ、しんぼうできないことがわかりました。王子さまのあの笑い声をきくことは、砂漠の中で泉の水を見つけるのと同じだったからです。
- ぼっちゃん、ぼく、あんたのあの笑い声が、もっとききたいんだ・・・・・・
けれど、王子さまは、ぼくにこういいました。
- 今夜で一年になる。ぼくの星は、去年、ぼくがおりてきたとこの、ちょうど真上にくるよ・・・・・・
- ぼっちゃん、そりゃ、ありもしないこといってるんじゃないのかい、ヘビだの、待ちあわせる場所だの、星だのっていう、その話・・・・・・?ね、そうだろ・・・・・・
けれど、王子さまは、ぼくがきいたことには答えないで、こういいました。
- たいせつなことはね、目に見えないんだよ・・・・・・
- うん、そうだね・・・・・・
- 花だっておんなじだよ。
もし、きみが、どこかの星にある花がすきだったら、夜、空を見あげるたのしさったらないよ。どの星も、みんな、花でいっぱいだからねえ
- うん、そうだね・・・・・・
- 水だっておんなじさ。きみがぼくにのませてくれたあの水ったら、車と綱で、汲みあげたんで、音楽をきくようだったね・・・・・・。ほら・・・・・・うまい水だったじゃないか
- うん、そうだね・・・・・・
- 夜になったら、星をながめておくれよ。ぼくんちは、とてもちっぽけだから、どこにぼくの星があるのか、きみに見せるわけにはいかないんだ。だけど、そのほうがいいよ。きみは、ぼくの星を、星のうちの、どれか一つだと思ってながめるからね。すると、きみは、どの星も、ながめるのがすきになるよ。星がみんな、きみの友だちになるわけさ。それから、ぼく、きみにおくりものを一つあげる・・・・・・
王子さまは、また笑いました。
- ぼっちゃん、ぼっちゃん、ぼく、その笑い声をきくのがすきだ
- これが、ぼくの、いまいったおくりものさ。ぼくたちが水をのんだときと、おんなじだろう
- それ、どういうこと?
- 人間はみんな、ちがった目で星を見てるんだ。旅行する人の目から見ると、星は案内者なんだ。ちっぽけな光くらいにしか思ってない人もいる。学者の人たちのうちには、星をむずかしい問題にしてる人もいる。ぼくのあった実業屋なんかは、金貨だと思ってた。だけど、あいての星は、みんな、なんにもいわずにだまっている。でも、きみにとっては、星が、ほかの人とはちがったものになるんだ・・・・・・
- それ、どういうこと?
- ぼくは、あの星のなかの一つに住むんだ。その一つの星のなかで笑うんだ。
だから、きみが夜、空をながめたら、星がみんな笑ってるように見えるだろう。すると、きみだけが、笑い上戸の星を見るわけさ
そして、王子さまは、また笑いました。
- それに、きみは、いまにかなしくなくなったら、(かなしいことなんか、いつまでもつづきゃしないけどね)、ぼくと知りあいになってよかったと思うよ。きみは、どんなときにも、ぼくの友だちなんだから、ぼくといっしょになって笑いたくなるよ。そして、たまには、そう、こんなふうに、へやの窓をあけて、ああ、うれしい、と思うこともあるよ・・・・・・。そしたら、きみの友だちたちは、きみが空を見あげながら笑ってるのを見て、びっくりするだろうね。そのときは、<そうだよ、ぼくは星を見ると、いつも笑いたくなる>っていうのさ。そしたら、友だちたちは、きみの頭がおかしくなったんじゃないかって思うだろう。するとぼくは、きみにとんだいたずらしたことになるんだね・・・・・・
王子さまは、また笑いました。
- そうすると、ぼくは星のかわりに、笑い上戸のちっちゃい鈴をたくさん、きみにあげたようなものだろうね・・・・・・
王子さまは、また笑いました。が、やがてまた、まじめな顔になっていいました。
- 今夜はね、やってきちゃいけないよ
- ぼく、きみのそば、はなれないよ
- ぼく、病気になってるような顔しそうだよ・・・・・・なんだか、生きてないような顔しそうだよ。うん、そうなんだ。だから、そんなようす、見にきたってしようがないじゃないか・・・・・・
- ぼく、きみのそば、はなれないよ
そういっても王子さまは、心配そうな顔をしています。
- ぼく、こんなこというの・・・・・・ヘビのこともあるからだよ。きみにかみついちゃいけないからさ・・・・・・。ヘビのやつ、いじわるなんだから。おもしろがって、かみつくかもしれないんだよ・・・・・・
- ぼく、きみのそば、はなれないよ
王子さまは、なにかしら思いついて、安心したようにも見えました。
- そうだ。ヘビのやつ、二度めにかみつくときには、もう、毒がないんだっけ・・・・・・
その夜、王子さまが出かけたのを、ぼくは気がつきませんでした。足音一つたてずに、すがたをかくしたのです。あとをおって、首尾よくおいつきますと、王子さまは、もう、はらをきめたらしく、あしばやに歩いていました。そして、こういったきりでした。
- ああ、きみか・・・・・・
王子さまは、ぼくの手をとりましたが、また、心配でたまらなそうにいいました。
- こないほうがよかったのに、それじゃつらい思いをするよ。ぼく、もう死んだようになるんだけどね、それ、ほんとじゃないんだ・・・・・・
ぼくは、だまっていました。
- ね、遠すぎるんだよ。ぼく、とてもこのからだ、持ってけないの。重すぎるんだもの
ぼくはだまっていました。
- でも、それ、そこらにほうりだされた古いぬけがらとおんなじなんだ。
かなしかないよ、古いぬけがらなんて・・・・・・
ぼくはだまっていました。
王子さまは、すこし、気がくじけたようでしたが、また、気もちをひきたてて、いいました。
- ね、とてもいいことなんだよ。ぼくも星をながめるんだ。星がみんな、井戸になって、さびついた車がついてるんだ。そして、ぼくにいくらでも、水をのましてくれるんだ
ぼくはだまっていました。
- ほんとにおもしろいだろうなあ!きみは、五億も鈴をもつだろうし、ぼくは、五億も、泉をもつことになるからねえ・・・・・・
そして、こんどは王子さまもだまってしまいました。泣いていたからです・・・・・・
- だからね、かまわず、ぼくをひとりでいかせてね
といって、王子さまは腰をおろしました。
こわかったからです。それからまた、こういいました。
- ねえ・・・・・・ぼくの花・・・・・・ぼく、あの花にしてやらなくちゃならないことがあるんだ。ほんとに弱い花なんだよ。ほんとにむじゃきな花なんだよ。身のまもりといったら、四つのちっぽけなトゲしか、もってない花なんだよ・・・・・・
ぼくも腰をおろしました。立っていられなくなったからです。
王子さまはいいました。
- さあ・・・・・・もう、なんにもいうことはない・・・・・・
王子さまは、まだ、なにか、もじもじしていましたが、やがて立ちあがりました。そして、ひとあし、歩きました。ぼくは動けませんでした。
王子さまの足首のそばには、黄いろい光が、キラッと光っただけでした。王子さまは、ちょっとの間身動きもしないでいました。声ひとつ、たてませんでした。そして、一本の木が倒れでもするように、しずかに倒れました。
音ひとつ、しませんでした。あたりが、砂だったものですから。
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